先日、全日本鍼灸学会に参加してきました。
会場は名古屋。にぎやかな街の空気と、全国から集まる人の熱気。ふだん学校にこもって授業と実習に追われる生活をしている身としては、こうして“外の空気”を吸うだけでも、すこし新鮮な気持ちになります。
今回の学会では、例年とは少し違う目線で物事を見ていた自分がいました。
去年の仙台大会では、自分も演題発表をさせてもらいました。
テーマはざっくりいうと「鍼の安全性について」。エコーを活用した小さな研究で、少しでも現場の“不安”を可視化できたら…という思いでまとめたものでした。
でも今回は発表者ではなく、完全に聞く側。
純粋に学ぶ立場として、セッションをまわり、他の先生方の報告を聞いて回りました。
知識のアップデート
学会に出ると、まず感じるのが「自分の知識、止まってたな」ということ。
学校で教える立場にあると、自分がかつて得た知識を“配る”側に回ってしまい、
気づけば自分自身が学び直す時間をあまり取れていなかったことに気づかされます。
昔、ある先生に言われた言葉を思い出しました。
「教員は1年目が一番、知識の脂がのってるんだよ。」
当時は「なるほど〜」くらいに聞き流していたけど、今ならすごく実感できます。
臨床を離れ、学生に合わせた“基本”ばかり教えていると、自分の中の知識はどんどん平らになっていく。
でも学会で耳にする話は、現場の最前線を走っている人たちの生の情報。
思考のスピードも、視点の鋭さも、自分とは違う温度で動いている。
「これは…やばいな、追いつかないと。」
そんな刺激を久しぶりに受けました。
市中の鍼灸と学術のギャップ
そして今回、あらためて強く感じたのが、市中の鍼灸院と学術との距離でした。
学会で発表される内容には、エビデンスがあります。
データや再現性、科学的な視点に基づいた鍼灸の可能性が語られます。
でも現実に多くの患者さんが足を運ぶのは、街の中にある個人の鍼灸院。
そこには、統計やデータでは語りきれない“現場の判断”や“感覚”が生きている。
「うちはこれで良くなった」
「うちの師匠はこうしてた」
そういう言葉の世界。
それは否定できないし、むしろ大切にすべき“経験知”だと思っています。
でも同時に、それを再現性のある形に変えていかないと、
後進には引き継げないし、医療としての信頼性も得られない。
研究で得たエビデンスと、現場での経験知。
その間をどう橋渡しするか。
その問いは、教員としての自分に返ってきました。
教えるって、むずかしい
正直に言うと、こういうことを今の学生に伝えるのは、やっぱり酷だなと思っています。
専門学校では、そこまでの“思考の幅”を教える時間も体力もない。
国家試験を目指して、毎日必死で勉強している学生に、
「感覚も大事だけど、エビデンスもね」とか言っても、きっと混乱させてしまうだけです。
でも、それでいいのかもしれない。
今、すべてを理解してもらう必要はない。
ただ、どこかで心に引っかかる“種”をまいておく。
それが数年後、ふと芽を出してくれたら、それで十分。
教員をしている自分は、たぶん、その“種まき”をするためにいるんだと思います。
そう思えたことが、今回の学会で得た大きな気づきの一つでした。
名古屋めしと“非公式セッション”
名古屋での学会といえば、ランチョンセミナーが定番ですが、
今回は外に出て、研究バリバリ後輩と地域医療の熱男と一緒に味噌カツを食べに行きました。

2人とも、それぞれの場所で苦しみながらも、自分の立ち位置で必死に走っている。
そんなメンバーと囲む味噌カツは、ただの昼ごはんではなく、非公式セッションの場でした。
話題は、鍼灸の制度、教育の限界、保険のあり方、そして商売の現実。
「それ、現場じゃ無理でしょ」
「でも理想は持ち続けたいよね」
「もう一度、根っこから考え直す必要があるかもしれない」
食べながら、語りながら、笑いながら、それでも真剣な時間。
こういう場こそが、学会で一番の学びかもしれないと思いました。
夜はまた別メンバーで、もう一回セッション
そして夜は、また別のメンバーと。
学会で集まった仲間と、気づけばまた語っていました。
顔ぶれが変われば、出てくる話題も違う。
臨床のリアル、教育のもどかしさ、経営の現実。
誰も答えは持っていないけど、みんな真剣に向き合ってる。
お酒も少し入りつつ、話は熱を帯び、
それでも変に力が入らず、お互いの言葉をちゃんと受け取る空気がありました。
こういう夜があるから、やっぱり来てよかったと思えるんです。
ちいさな決意と、天むすと、缶ビール
学会を通して、たくさんの刺激をもらいました。
そして、その中で自分の中に芽生えたちいさな決意。
環境を変えよう。
すぐに大きなことができるわけじゃない。
でも、ちょっとだけ講義のやり方を見直してみようとか、
自分が触れている情報の幅を広げてみようとか、
そういう小さなことからでも、動かしていきたい。
帰りの名古屋駅で、天むすを買いました。
新幹線に乗って、缶ビールをぷしゅっと開けてひとくち。
知識と感情と天むすをめいっぱい詰め込んで、
ちょっと疲れて、でも少し前を向いて帰る——
そんな週末でした。